日本人の見たライプニッツ

(明らかな誤植・欠字等は引用者の判断で修正した)


1936年:河野與一『ライプニツ 單子論』(岩波書店、大思想文庫、1936年、181ページ)。

まだやつと整理を終へて刊行の途に著いたばかりのアカデミー版の全集は出 版書肆ライヒルの都合で挫折に瀕してゐるから、ハノーヴェルに藏められてゐる 未刊の文獻の公表は益々遲れて來るが、次第に興味を惹いてゐるライプニツ研究 の結果によつて又どういふ新材料が提供されるか全く豫想がつかない。


1938年?:ゲルハルト版ライプニッツ哲学著作全集影印本刊行趣意書(弘文堂書房の宣伝用葉書より)。

ライプニッツは、独逸哲学の源泉であり又その典型であるに止らず、哲学的思索の一つの範型となるまでに高められ深められた古典的思想家であること改めて縷説を要しない。然しライプニッツの偉大さが始めてその全貌を現して来たのは、我々が此処に提供しようとするゲルハルト編纂のライプニッツ著作全集に負う。……。ライプニッツ研究が一新時期を画したのは本全集に負うと言っても甚だしく言いすぎではない。然るにこの版は既に疾く絶版になり、用意に入手し難く且つ極めて高価である(最近の彼地のカタログによれば二百五十馬克、邦貨三百五十円と記されている)。


1940年:三宅剛一『学の形成と自然的世界』(弘文堂、1940年、514ページ)。

プロティノスにあっては個別的有限的なるものは実在性に於て劣れるものであった。個を実体とするライプニッツがその問題の解決を求めた方向は、それ故プロティノス的に絶対から個に行くところの発出論の方向ではなかった。彼は個別的なるものにも一種の無限性を認める。最高実在と個別的なものとの間に中間的一般者をおかず、個別的なるものに無限性を認めるクザヌス的・ルネサンス的な、コスモスとモナッドとの内面的関係の考はその場合の有力な考え方であった。ライプニッツの当面した個体と世界の問題は、その形而上学的な究極性に於てやはり神との関係に行き当る。そこにプロティノス的又はスピノザ的な思想とたちきれないものが残されるのである。それにもかかわらず、ライプニッツの哲学は一と多、個と全体の関係について、プロティノスともスピノザとも異った出発点をとる。そうしてそれはまた、多くの類似にも拘らず、クザヌスの立場とも同一視しがたい特色ある解決の試みである。


1951年:ライプニツ『單子論』(岩波文庫、1951年)、第一刷の帯より。

ドイツ哲學の祖といわれている獨創的綜合の天才ライプニツがその思想を多少なりとも組織的にまとめて述べた著作のうち、さきに文庫に収めた「形而上學序説を除く他の三篇「新説」、「自然及び恩恵の原理」と「單子論」をこの書に収めた。アリストテレス、デカルト、スピノザ、ニュートンの影響をうけた彼の哲學は、この中に全く要約されている。


1951年:相原信作「ライプニッツ」『哲学人名辞典』(弘文堂、アテネ文庫、1951年、50ページ)。

ドイツの大哲学者。同時に数学者自然科学者歴史家言語学者神学者でもあり夫々劃期的な仕事(微分学の発見の如き)をなした。尚又新旧両教融合の遠大な理想について同志と盡力したり、当時のヨーロッパを制圧するルイ十四世のフランスに対して弱体なドイツの自由のため活動したりした。彼をしてベルリンのアカデミー建設を創案せしめたものはドイツ及びヨーロッパの自由への大志である。彼の哲学はヘーゲルの如く先行の各哲学に夫々の範囲において真理を認め之を集大成せんとするもの、少年の日にアリストテレスの目的論とデモクリトスの機械論の対立を克服せんと考えたモチーフがその全思索を貫いて流れる。モナドはかくて得られた原理であり、唯物論的な原子論と観念論的なデカルト、スピノザの形而上学の総合である。世界は精神的な原子モナドの無限の集合であり、こよなく麗しき調和(最善観、予定調和説)、絶妙な神の叡智の創造である。著作『形而上学叙説』1686『人間悟性新論』1704『弁神論』1710『単子論』1714等。


1954年:平野智治「解説」、ラッセル『数理哲学序説』(岩波文庫、1954年、273ページ)。

論理主義的な哲学は、論理学に数学的な記号と数学的な演算方法とを適用しようとしたことから始まる。そしてその起原を Leibniz まで遡るのが普通である。彼のいわゆる Characteristica Universalis の夢、すなわち概念を特有の記号で表し、推理による命題の変化を計算で表し、定義や演繹の体系を一つの演算の体系としようとした彼の企てが、通常論理主義の起原としてのべられる。しかも彼の研究こそ、そののちの学徒の研究の指針となり、そののちのこの方面の研究の胚芽となっている。


1955年:竹内良知「解説」、『世界大思想全集 スピノーザ・ライプニッツ』(世界大思想全集 哲学・文芸思想篇 9、河出書房、1955年、356ページ)。

こうした過酷な条件のもとでのドイツのブルジョア的発展を、思想において表現し、その階級的要求の実現のための思想的なよりどころをあきらかにしようとしたのがライプニッツであった。そして、ドイツの近世的哲学はライプニッツによってはじめて成立した。したがって、かれの哲学は、ドイツの発展の複雑な矛盾と後進性の無力さをも反映せざるをえなかった
 しかし、かれはその直面した課題を徹底的に追及することをとおして、かえって人類の認識の発展にとって貴重な遺産をのこすことができたし、十七世紀から十八世紀にかけてのヨーロッパにおけるもっとも壮大な合理主義の哲学者となることができたのであった。


1956年:吉村正一郎「解説」、ヴォルテール『カンディード』(岩波文庫、1956年、183ページ)。

ヴォルテールは、当時の支配階級に受け入れられていたライプニッツの楽天主義説を小っぴどくやっつけるために、この小説を書いた。「この最善の世界においては、すべては最善に仕組まれている」というライプニッツのストア的な現状肯定の命題ほど、ヴォルテールにとって、バカバカしく不合理で我慢のならぬものはなかった。人間世界がそのようなものでないことは、苛烈な現実がそれを実証している。それを彼はいいたかったのだ。


1971年:矢沢利彦「西洋文化と中国文化の交流」『西欧文明と東アジア』(榎一雄編、東西文明の交流 5、平凡社、1971年、285〜286ページ)。

宣教師たちの中国報告をもっとも入念に読んだばかりでなく、直接彼らと会って疑義を質し、またはるばる文通して資料を入手し、中国思想を自己の思想のなかに組み入れた哲学者として有名なのは、ドイツ人ライプニッツ(一六四六〜一七一六)である。彼は思想家であるとともに、法学者でもあり、自然科学者でもある一種の鬼才であったが、彼の著書のうちで公刊されているものはごく一部であるから、その全貌を知ることはもとより難いけれども中国思想の影響を受けたことは否定することができない。彼は一六六六年、すべての概念を分析してこれをいくつかの簡単な基礎的概念に帰納し、このような基礎的概念をそれぞれ適当な記号をもって表現し、これらの記号を適当に組み合わせてそれによって複雑な概念をもった表象をつくろうという「組成法」という論文を書いたが、これは明らかに漢字の組成からヒントを得たものであった。彼はこのときまだ一九歳であったというから、こんなに若くてすでに中国のことについて関心をもっていたことがわかる。


1980年:森毅『計算のいらない数学入門』(光文社、1980年、198-199ページ)。

<数学>としては、現代にいたる発想のおおまかな枠、<対象と操作>(「数学教育現代化」ふうに言うと「集合と関数」)を大胆に、<形式>として構造化する、といった普遍学思考は、なにより、ライプニッツのものである。そうした点で、少なくとも発想については、現代の数学に近い。
 もっとも、ニュートンのように「数学」としてきっちりしているわけではない。……


1985年:佐々木力『科学革命の歴史構造』(全二巻、講談社学術文庫、1995年、下巻、243ページ;初版、岩波書店、1985年)。上巻、97ページ、註94。

一九二〇年代の数学基礎論論争を歴史的─数学的に追認し直して、われわれは次のことを理解する──問い直されるべきは、十七世紀以降の支配的学問論のイデア的規範性であり、その始源にはライプニッツが位置している。そして、その最新層にはヒルベルトがおり、彼の思想こそが根底的に再検討されなければならない、と。


1988年:高山宏「ライプニッツのユニコーン」(森毅との対談:『現代思想』1988年10月号、青土社、185ページ)。

最近たまたまある本を翻訳しててね、そこにのってたライプニッツが見付けたとかいうユニコーンの化石というのを見て笑っちゃったんだよね。(笑)『プロトガエア』にその絵が大いばりで入ってます。だって、いないっていわれている動物の化石をみつけて、それを自分の地質学の理論の中にまことしやかに取り込んじゃうんだもん。(笑)ライプニッツという人間が、僕はある日突然好きになっちゃった。(笑)幻想的というのか、これではもうバルトルシャイティスとそう違わない。学問っていったって、こんなふうにいかがわしい未分化で混沌たるものをいっぱいとりこんだバロック的なものだから、近代の学問観ではキルヒャーもライプニッツも全然とらえられなかった。それがいよいよここにきて少しずつ……というわけです。「華やぐ知識」の時代のはじまりですね。


1988年:下村寅太郎「刊行の辞」(工作舎版『ライプニッツ著作集』の宣伝用パンフレットより)。

われわれは「いまなぜライプニッツか」は問題ではない。われわれにとっては、ライプニッツは「いま」の人でも「いま」の問題でもない。何時も何処でもの「人」であり「問題」である。一七世紀は「天才の時代」と言われる。ライプニッツはその天才の時代の最も天才的な天才であった。その博識と透徹は古今東西に比を見ない。その全集の刊行はドイツにおいて第一次世界大戦直後から着手されたが未だに完了せず、今後なお百年を要するという。


1996年:佐々木能章「[対談]なぜ今、ライプニッツか」(佐々木力との対談:『数学セミナー』1996年8月号、日本評論社、43ページ)。

現在は、いろいろに学問が分かれていますが、分かれたものの間での移行を何の苦もなくやってのけるところに惹かれます。ライプニッツファンというのも変ですけど、いつも新しい発見があって読んでいる喜びを感じますので、ファンクラブの一員になっているわけです(笑)。


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Last Modified: May 17, 1999